大江定基の出家

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 三河の守大江定基、出家のものがたり

                 (宇治拾遺 巻第4 7)
                 (今昔 巻19 第2)
                 
 参川入道がまだ俗人だった頃、元の妻を見捨てて、若く美しい女に恋慕して、
それを妻として三河に連れて行きました。

 その女は重い病に罹り、長く患ったので、美しかった容貌も衰えて、死んで
しまったのを、いとおしさの余り、葬ることもしないで、夜も昼も添い臥して
いましたが、数日たって口付けしたところ、ぞっとするような嫌な匂いが出て
きたので、わが身が浅ましくなって、泣く泣く葬りました。

 その後、俗世はいやなものだと思うようになりました。

 三河の国で、『風祭』という行事で、生贄として、猪を生きたままで料理し
たのを見て、ますます道心を起こして、この国を去ろうという気持ちが湧きま
した。

雉を生きたまま捕らえて、人が持ってきたのを、
「さあ、この雉を生きたまま料理して食おう。死んだのを料理したのよりも、
一段と味わいが良いかどうかためしてみよう。」
と言ったところ、なんとか守の気に入られようと思っている愚かな郎党が、
「美味しいでしょう。どうして味がよくならないわけがあるでしょうか。」
などとはやし立てます。

 少し物の風情の分かる人は、なんと残酷なことをするものだと思いました。

 やがて、前で、生きたままで毛を毟ったので、しばしはばたばたと暴れるの
を抑えて、かまわずにひたすら毟ると、鳥は目から血の涙を流して、瞬きしな
がら人の顔を見まわしますので、視線が合って耐えられなくなり、その場を立
ち去る人もいます。

 「こいつはこんな鳴き声を出すんだな。」
などと、面白がってなおいっそう残酷に毟っている者もいます。

 毟り終わって、料理にかかり、包丁をいれると、血がつぶつぶと出てくるの
を、布巾で拭きながら切っていったので、ぞっとするほど聞くに堪えられない
ような声をだして、死んでしまったので、ばらし終わりました。

 「照り焼きにして味わってみよう。」
と言って、食べてみると、
「ことのほか美味いものだ。死んだのを料理して照り焼きにしたのとは、格段
の違いだなぁ。」
などと言っているのを、守は、ずーっと見聞きし、涙を流して、声をだして呻
いたので、
「美味い。」
などと言った者は、国守の機嫌取りのつもりの当てが外れてしまいました。

 その日のうちに、国司の役所を出て、京に上り、法師になってしまいました。

 道心が起こっていたので、その心を堅固なものしようと、このように思い切っ
たことをしてみたのでした。

 托鉢をしていたときに、ある家で珍しいご馳走を用意して、庭に畳を敷いて、
食わせようとしたので、その畳の上に座って食べようとすると、簾を巻き上げた
中に、美しく着飾った女が座っていました。見ると自分が捨てた古い妻でした。

 「この乞食坊主。こんなざまを見たいと思っていたよ。」
と言って、見下ろしましたが、男は恥ずかしいとも、心苦しいとも感じる様子も
なく、
「ああ、ありがたいことです。」
と言って、ご馳走を頂いて、帰りました。

 珍しい態度ですね。
道心を堅く起こしていたので、このような事に出合っても、苦痛だとも思わなか
ったのでしょう。

しょうげんの一言:今昔物語では、この後中国にわたった話が続きます。


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Category: 古典文学

袴垂も肝を冷やした。

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藤原保昌朝臣、盗人袴垂(はかまだれ)にあふものがたり

               (今昔 巻25 第7)
               (宇治拾遺 巻第2 7)

 むかーし昔。

 袴垂という有名な盗人の頭領がおりました。

 肝っ玉は太く、力は強く、足は速く、腕は立ち、思慮深く、全く並ぶ者もな
いほどの人物です。
 隙をうかがって、人の物を奪うのを仕事にしていました。

 この男が、10月ごろ、衣服が欲しかったので、衣を手に入れようと思って、
あちこち窺い歩いていると、夜中ごろに、人がみな寝静まっている朧月の下、
都大路を、指貫(さしぬき)らしい袴の股立ちを取り、狩衣(かりぎぬ)らし
い軟らかそうなものを重ね着して、ゆったりと急ぐでもなく歩いている人がい
ました。

 袴垂はそれを見て、あっこれこそ、自分に衣を得させるために出てきた者だ
ろうと思ったので、喜んで走りかかって、打ち伏せて衣を引き剥ごうとしたの
です。

 ところが、不思議なことに、この人がなんとなく怖ろしく感じられて、手が
出せないまま、二三町ほど後ろについていくと、この人は、自分が尾行されて
いるなどと思いもしない様子で、悠然と静かに笛を吹いて歩いています。

 袴垂は、試しに、わざと足音を立てて走りよると、少しも慌てた様子もなく
笛を吹きながら振り返った様子は、襲い掛かることが出来そうもなかったので、
五六歩引き下がりました。

 このように何度かいろいろやってみましたが、少しも怖がったり慌てたりす
る様子もなかったので、これは稀有の人だなと思って、十数町ほど付いて行き
ました。

 しかし、いつまでもこうしてはいられないと思って、袴垂は刀を抜いて走り
寄ると、笛を吹きやめて、立ち止まり、
「おまえは、何者だ。」
と尋ねました。

 たとえどんな鬼・神であろうと、このように只一人でいる者に走りかかった
のだから、さして怖ろしいはずはないのに、これはどうしたことか、肝もつぶ
れて、死ぬほど怖ろしくなって、無意識のうちに膝を突いてしまいました。

 「いかなる男か。」
と重ねて聞かれますと、いまさら逃げようとしても、無事に逃げることは出来
まいと思って、
「追剥ぎでございます。」
と言い、更に、
「名前は、袴垂と申します。」
と答えました。

 この人は、
「名前だけは聞いたことがある。危ないことをする命知らずじゃ。付いて来い。」
とだけ言いかけて、また先ほどと同様に笛を吹いて行きました。

 この人の気配を見ると、ただの人間ではないと怖ろしくなり、鬼神に魂を奪わ
れたように、正気もなくふらふらと付いて行くと、この人は大きな家の門に入り
ました。

 沓を履いたままで縁の上にあがったので、これはこの家の主だなと思っている
と、すぐ戻ってきて、袴垂を呼んで、綿のタップリ入った衣を与えて、
「今後、このようなものが欲しいときは、この家に参って言え。よく知りもしな
い人に取り掛かって、怪我なんかするなよ。」
と言って、内に入っていきました。

 その後、この家を考えてみると、摂津の前の国司藤原保昌という人の家でした。
あの人が、噂に聞いた保昌であったのだと思うと、生きた心地もしないで、屋敷
を後にしました。

 その後、袴垂が捕らえられて、
「不思議に気味悪く怖ろしい人でした。」
と語ったということです。

 この保昌朝臣は、武門の家柄ではなく、致忠という人の子です。それなのに、
武門の者にも劣らず、肝っ玉太く、腕が立ち、力持ちで、思慮深い素晴らしい人
物で、朝廷でもこの人を武士として仕えさせましたので、まったく不安なことが
ありませんでした。

 だから、世間ではこの人をこの上なく恐れていたのです。ただし、子孫がない
のは、武門の家系ではないためかと、人が言ったと語り伝えたということです。

                        おわり

しょうげんの一言:当代、名のある二人の人物の対決、迫力がありますね。
       「宇治拾遺物語」では、あとの方の二つの段落は、ありません。
 

Category: 古典文学

光る物体。

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西ノ京の人、応天門の上に光る物を見るものがたり

                  (今昔 巻27 第33)

 むかーし昔。
 西ノ京のあたりに住むものが居りました。父は亡くなって、年老いた母が一
人で住んでいたのです。息子が二人いましたが、兄は侍として仕え、弟は比叡
山の僧として、別々に暮らしていました。

 この母が、重い病にかかって、何日も臥したままになったので、二人の子は、
付き添って西ノ京の家で看病していましたが、母の病が少し良くなったような
ので、弟の僧は、三条京極の辺りに師の僧がいるので、ちょっと会いに、と出
かけました。

 ところが、急にその母の病状が悪化して、死んでしまうと思って、兄に向かっ
て、
「私はもう死んでしまうよ。あの息子を一目見て死にたいよ。」
と言いました。

 兄は、それを聞いて、
「もう夜だよ。従者は居ない。三条京極は、ずいぶん遠いよ。どうしようもな
いよ。明日の朝、呼びにやるよ。」
と言いました。

 母は、
「私は、今夜一晩持ちそうには思われないよ。あれの顔を見ないで死んだら、
悔しくってどうしようもないよ。」
と言って、弱々しく切なそうに涙を流します。

 兄は、
「それほどまでに思うのならば、たやすい事です。夜中でも、自分の命のこと
はかまいません、呼びに行きましょう。」
と言って、矢を三本ほど持って、只一人家を出て、大内裏を通って行きました
が、夜はすっかり更けて、冬のころなので、冷たい風は吹いて、怖ろしいこと
この上もありません。

 月のない暗夜のころで、まったくものも見えません。応天門と会昌門の間を
通ったときは、不気味で怖ろしかったけれども、我慢して通り過ぎました。

 あの僧の房に行って、弟の僧を尋ねると、その肝心の弟は、今朝比叡山に登
ったというので、すぐに母の許に戻ることにして、行くときと同じように、応
天門と会昌門の間を通るときは、前回よりも怖ろしかったので、急いで走り過
ぎようとして、応天門の二階を見上げたところ、真っ青に光る物がありました。

 暗いので何物ともはっきりしませんが、しきりに鼠の鳴き声をしたかと思う
と、カツカツと笑いました。

 頭の毛が太くなって死んでしまいそうな気持ちになったけれども、狐の仕業
だろうと思い我慢して、その前を通り過ぎて西に行くと、豊楽院の北の庭に、
丸い物が光っています。

 それを鏑矢で射ると、見事に射散らされたように、消え失せました。

 そうして、西ノ京の家に、夜中ごろに帰り着きました。その時の恐怖のせい
でしょうか、その後数日熱をだして病臥しました。

 考えてみますと、どんなに怖ろしかったことでしょう。しかし、それはきっ
と狐の仕業とあろうと、人が言ったと語り伝えたということです。

                    おわり

しょうげんの一言:皇居の中が自由に通行できたし、荒れ果てていたということですね。
          弟の行動は、意図不明ですが、ここでは、正体不明の物を取り上げたかっ
          ただけのようですね。

Category: 今昔物語

武名を重んじる

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 頼光、狐を射殺した話

                     (今昔 巻25 第6)

 むかーし昔。

 三条院の天皇が、春宮(とうぐう)でいらっしゃった時、東三条殿にいらっ
しゃって、寝殿の南面に、歩を進めますと、西の透渡殿(すきわたどのー左右
に壁の無い廊下)に、殿上人が二三人ほど控えていました。

その時に、東南の御堂の西の軒下に、狐が出てきて、体を伸ばして、仰向け
になったり転がったりしていました。

 源の頼光が春宮大進(とうぐうだいじんー春宮坊の判官)でした、この頼光
は、多田の満仲入道の子で、優れた武士だったので、公でもその方面で仕えさ
せ、世間にも評判が響き渡っておりました。

 その頼光が、その時控えておりますと、春宮が弓とひきめ(木製の長い矢じ
りで、かぶら矢のように音を出す)を与えて、
「あの東南の軒下にいる狐を射よ。」
と命じました。

 頼光は、
「私は適任ではございません。異人(ことびと)は、射外しても、みっともな
いこともございません。頼光が射外しましたならば、この上ない恥でございま
す。だからと言って、命中しても、それは格別のことでもございません。若い
ときは、たまたま鹿などに出合って、きちんと狙ったわけでもなく、射たもの
でしたが、今は、まったくそういうこともしておりませんので、このような当
て物などは、矢の落ちるところの見当も付きません。」
と申して、しばらく射ようとはしませんでしたが、そうこうしているうちに、
逃げていくかと思われた狐が、憎らしいことに、西向きに寝そべって逃げそう
にもありません。

 それを見て、真剣に、
「射よ。」
と責め立てなさいますので、頼光は辞退しかねて、弓とひきめを手にして、
「力がありますならば、仰せを承りましょう。このように遠いものは、ひきめ
では重うございます。征矢(そやー普通の矢)で射ましょう。重い征矢では、
狐を射ることは出来ないでしょう。矢が途中で落ちて届かないようでは、射外
すよりもみっともないでしょう。ひけめではお引き受けかねます。」
と申し上げました。

 紐で、上の衣の袖をまくり、弓を矢の長さいっぱいに引き絞って、矢を放つ
と、矢の飛んでいくのも見えなかったのに、狐の胸に命中しました。

 狐は、いったん頭を上げ、それからまっさかさまに池に転がり込みました。

 力弱い弓で、ひきめを使って射たなら、たとえ強い弓を引く者でも、矢は途
中で落ちてしまうでしょう。

 だから、このように狐を見事に射落としたのは、稀有のことだと、宮をはじ
めとして控えていた殿上人たちは感心しました。

 狐は、水に落ちて死んでいたので、取り捨てさせました。

 宮は、非常に関心なさって、褒美として馬を与えました。

 頼光は、庭に下りて、馬を頂き、深々と頭を下げて乗り、
「これは、頼光が命中させたのではございません。源氏の武名を辱めないよう
に守護神が助けて、命中させたのです。」
と申して、退出していきました。

 その後、頼光は、親しい兄弟親族にも、
「まったく自分が射た矢ではない。これは神仏の定めだ。」
と言いました。

 また、世間にもこのことが広まって、頼光は謙虚であると褒め称えたと、語
り伝えたということです。

                   おわり

しょうげんの一言:武名を重んじたこと、功名を個人のものとしないで守護神(先祖の霊)
           のお陰とする謙虚さが、武士道の一端でしょうか。

Category: 今昔物語
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