捨て子を育てる

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貧女の棄つる子を取りて養ひし女のものがたり

                    (今昔 巻19 第43)

 むかーし昔。
 
いつの時代のことでしょうか、女御でいらっしゃった方のもとに女の童として仕えていた人が、

若い時は姿形は美しく、非常に風流なところもあり、色っぽくて、人々に愛されておりましたが、

大人になってからは、人のもとに乳母として仕えておりました。

  【にょうご-皇后・中宮に次ぐ天皇の後宮の女官】

 その養った子は、僧になり修行を積んで、高貴な身分になっております。

 この乳母は、年老いてからは、仏教信心の心を起こして、法華経を読み、また色々な

仏教講義の会に出かけたり、自分でも勤行に勤めました。

 そうしている或る日、仏教講義の会の帰り道で、突然激しく雨が降ってきたので、

人の門に入って、雨宿りをしていると、その門の中の荒れた物置部屋のような所で、

女が激しく泣いているのです。

 「貴方はどうしてそんなにお泣きになるのですか?」

と尋ねますと、女は、

「私は、去年生まれた子と今年生まれた子と、年子を二人持っていますが、貧乏で

乳母は雇えないのです。私を田舎に連れていってやろうという男がおりますが、

乳飲み子を二人も抱えているのでは、その男の世話も受けられないので、

ほとほと困り果て、子供一人を棄てていこうと思うと、非常に悲しいのです。」

と言います。

 乳母は、気の毒に思って、

「それじゃ、棄てようと思う一人を、私に下さい。」

と言いました。

 その女は、

「非常に嬉しいことです。」

と言って、渡してくれたので、受け取って家に帰りました。

 この乳母は、あのように言って、その子を貰っては来たものの、乳母は居ないし、

自分の乳は出ないし、出もしない自分の乳を一晩中吸っている赤ん坊を見ると、かわいそうで、

「私が長年お読みした法華経よ、お助け下さい。私の純粋な慈悲の心から、貰ってきた赤ん坊です。

私の乳を張らせて下さい。」

と、一心にお祈りしました。

 すると、この乳母は子を産んでから25年になっていたのに、盛りの時のように、

その乳が突然張ってきて、こぼれるほどになったので、思い通りにその赤ん坊を育て上げました。

 このような珍しくしんみりとした出来事があったと、その人が語ったことを聞き伝えて、

人々が哀れ尊んで、このように語り伝えたと言うことです。

                       おわり

しょうげんの一言:法華経の功徳ですね。

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Category: 古典文学

才覚で大儲け

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 兵衛の佐(ひょうえのすけ)上緒の主(あげおのぬし)、
       西八条において銀(しろがね)を見得るものがたり

                 (今昔 巻26 第13)
                 (宇治拾遺 巻13にも)

 むかーし昔。

兵衛の佐【兵衛府の次官】がおりました。冠の緒【冠を髷に結ぶ紐】が長かったので、

世間の人は上緒の主と呼んでいました。

 西の八条と京極の間の畠の中に、一軒のみすぼらしい家がありました。この人が、

その家の前を通りかかったときに、突然の夕立で、馬から下りてその小家に入りました。

 見ると、おばあさんが一人居りました。

男は、馬も引き入れて、夕立の過ぎるのを待とうと考えました。家の中に平らな石で、

ちょうど碁盤のような大きさのものがありましたので、それに腰を下ろして休んでいました。

 何気なく、石でこの腰掛けていた石を叩き、そのくぼんだ所を見ると、

銀であることに気付きましたので、おばあさんに尋ねました、

「この石は、なんの石なのかな?」と。

 おばあさんは、

「なんの石でしょうか、昔からここにこのようにある石ですよ。」

と答えました。

 上緒の主が、

「もとから、このようにあったのか?」

と、更に尋ねますと、おばあさんは、

「ここは昔の長者の家だと聞いています。この家屋の建ってるところは倉の跡だったそうです。

実に大きな礎の石がいくつかありました。その尻を乗せてる石は、その倉の跡を

畠にしようとして、畝を掘ってるときに、土の下から掘り出されたのです。

その石がこの様に家の中にありますので、外に出そうと思いましても、

なにしろ年寄りで力がありません、どうしようもないので、癪に障るけれども、そのまま置いてる石ですよ。」

と言いました。

 上緒の主はそれを聞いて、この老婆は何も知らないのだが、やがては目の利く者が

見つけるかも知れない、自分がこの石を手に入れようと思って、おばあさんに、

「この石は、おばあさんには不要の物のようだが、我が家に持っていって使ってみたいと思う。」

と言うと、おばあさんは、

「どうぞ、どうぞ、さっさと持っていって下さい。」

と言います。

 上緒の主は、その付近の知人の所から、車を借りて、その石を積んで帰ろうとするときに、

只で持ち去るのは、何となく気の毒な気がして、着ていた衣を脱いで、おばあさんにやると、

おばあさんは驚いて慌てふためいています。

 そこで、上緒の主が、

「このように長年ある石を、ただで持っていくのは気が引けるので、衣を脱いでほんのお礼のつもりでやるのだ。」

と言いますと、おばあさんは、

「なんとまあ、役立たずの石の替わりに、こんな立派な宝物のような着物を頂くとは、

思いがけないことです。ああ勿体ない、かたじけない。」

と言って、棹に懸けて拝んでいます。

 さて、上緒の主は、この石を車に積んで運ばせ、家に帰りました。

その石を少しずつ打ち欠いて売りますと、次第に欲しいと思っている物がみな手に入ります。

米・絹・綾など沢山手に入りました。

 さて、西の四条よりは北、皇嘉門(二条大路にあり、朱雀門の西)よりは西に、

人も住めぬずぶずぶとした湿地が一町歩ほどありました。

 そこを価値は殆ど無いだろうと思って、ほんの少しの価格で買いました。

その持ち主は、役に立たない湿地なので、田畑にも出来まい、家をも建てることは

出来まいと思っていたので、値はいかほどでも、買う者がいれば、とんでもない物好きだなと思って売りました。

 上緒の主は、この湿地を買い取った後、摂津の国に行きました。

船四五艘、平田船(薄く平たく長い舟)などを引いて、難波の辺りに行って、酒粥を沢山用意し、

また鎌を沢山準備して、街道を行く人を呼び止めて、

「この酒や粥をみな飲んでくれ。その代わり、この葦を少し刈ってくれ。」

と言いました。

 すると、ある人は四五束、ある人は十束、ある人は二三十束刈りました。

そのようにして、三四日刈らせたところ、山のように刈って積みあげました。

 それを船十艘に積んで、都に上るときに、街道を行く下衆(げす-身分の低い者)に、

「ただ歩くよりは、この船の引き綱を引け。」

と言って、酒を沢山用意しましたので、酒を飲みながら引き綱を引く者が沢山居たので、

いとも簡単に賀茂川まで上りました。
 
 その後は、車を借りて、物を与えたり、同じように酒を飲ませたりして、

その買い入れた湿地に、全部運びました。

 さて、その葦をその湿地に敷いて、その辺りの下衆を雇い、その上にその辺りの土を

掬って敷き並べ、その上に家を建てました。

 その南の町は、大納言源の定(さだむ)と言う人の家です。その定の大納言は、

その土地を上緒の主から買い取って、南北二町になったのです。現在西の宮と呼ばれているのがそれです。

 あのおばあさんの家の銀の石を手に入れて、上緒の主は自分の家を建て、豊かになったのです。

 これも前世の因縁があったのだろうと、語り伝えたと言うことです。

                        おわり

しょうげんの一言:目端の利く人間の成功譚ですね。

Category: 古典文学

母を射殺した

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丹後守保昌朝臣(やすまさあそん)の郎党、
              母の鹿となれるを射て出家するものがたり

                     (今昔 巻19 第7)
 
 むかーし昔。

藤原の保昌という人がおりました。

武家の流れではなかったけれども、勇猛で弓矢の道を極めていました。

この人は、丹後の守として赴任していたとき、その国で常々郎党眷属と一緒に

鹿狩りを仕事のようにしていました。

 名前は伝わっていませんが、一人の郎党がおりました。弓矢で身を立て、主人に随って

数年経ち、なかなか頼もしい武者でした。特に、鹿を射ることでは、この男の右に出る者はおりません。

 丹後の守が、山野に出て狩りをしようと指示をだしまたが、この男はその狩りが

明後日催されるという夜の夢に、亡くなった母が現れて、

「私は、生前の悪行の罪によって、鹿に生まれ変わってこの山に住んでいるんだよ。

それなのに、明後日の狩りで私の命は終わりになりそうだね。たくさんの射手の中を縫うように

逃げ隠れしようと思うけど、お前は弓の達人だから、お前の矢を逃れることは難しいよね。

だから、お前は、大きな女鹿(めじか)が出てきたら、これは自分の母親だと気付いて、

射ないでおくれ。私は、自分から進んで、お前の居る方に逃げて行くつもりだよ。」

と言うのを見て、目が覚めました。

 その後は、胸がドキドキし、悲しくなり、生前の母親のあれやこれやを思いだして眠れませんでした。

 夜が明けて、病気であるという理由で、明日の狩りにはお供できない事を、

守に申し出ました。でも、守は許しません。

 何度も辞退したのですが、守は承知しないで、しまいには怒って、

「そもそも今回の狩りは、お前が鹿を射止める手並みを見たいから企てたのだ。

それなのに、どうしてお前は強引に辞退しようとするのか。もし、明日の狩りに来なかったならば、

お前の頸を刎ねるぞ。」

と言いました。

 男は、それには恐れ入って、たとえ狩りに行っても、夢のお告げを忘れずに、

その鹿を射てはならないのだと、心に刻み込んで出発することにしました。

 やがてその当日になって、この男はいかにも気分悪そうに、気が進まないのに自分を

励ますようにして、出かけました。二月十五日頃のことです。

 守が狩り場に出て、狩りを始めると、この男は、鹿七八頭を追い込んだ囲いに出向きました。

 その中に大きな女鹿がいました。弓が射やすいように、鹿を左手にして、弓を引き、

馬の鐙を踏みしめて狙いを定め、馬を進めるうちに、この男は夢のお告げをすっかり忘れてしまいました。
 
 矢を射ると、鹿の左の腹から向こう側まで、雁股(かりまた-矢尻が二股になっているもの)が、

貫通しました。

 鹿が射られて振り返った顔を見ると、まさしく母親の顔で、

「痛いよ。」

と言いました。

 その時に、男は夢のお告げを思い出して、後悔し悲しくなったけれども、今更どうしようもなく、

すぐ馬から下りて、泣き泣き弓矢を投げ捨て、その場で髷を切って法師になってしまいました。

 守が、それを見て不思議に思い、そのわけを尋ねますと、男は、夢のことを初めとして、

鹿を射たときのことを話しました。

 守は、

「お前は何と愚かな奴だな。どうしてそのことを先に言わなかったのだ。

私がそのことを聞いたならば、お前の今日の狩りの仕事を免除してやったのに。」

と言いました。

 しかし、今更どうしようもなく、男は家に帰りました。

 翌日の早朝、その国の尊い山寺に行きました。深い道心が湧いたので、その後

怠けることなく修行を積んで、非常に尊い聖人になって、更に精進に勤めました。

 母を殺すという大きな罪を犯したけれども、出家の縁となったのだから、尊いことだと語り伝えたと言うことです。

                         おわり。

しょうげんの一言:亡くなった母を殺すという奇妙な話ですが、

         出家の縁というところが、今昔の世界でしょうか。

Category: 古典文学

生き返った女性

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 京に住む女人(にょにん)、地蔵の助けによりて
               活(い)きかへるを得るものがたり。

                    (今昔 巻17 第28)

 むかーし昔。京の太刀帯町(たてはきまち)のあたりに住んでいた女がおりました。

もとは東国の人です。ちょっとした縁があって京に上って住んでいるのでした。

 その女人は、善人だったのでしょうか、月の24日に六波羅蜜寺(ろくはらみつじ)

の地蔵講に行って、聞きますと、一切衆生の苦を救おうとする地蔵菩薩の悲願を講師が説くのでした。

 それを聞いて、発心し非常に感動して、涙を流しながら家に帰りました。

 その後、地蔵菩薩の像を造ろうという気持ちが湧いて、衣を脱いで、仏師に与えて、

一ちゃく手半(しゅはん)の地蔵を造ってもらいました。

 【ちゃくとは、親指と中指とを張った長さで、ここでは、その長さとその半
        分の長さを加えた寸法】
 
 まだ開眼供養の式もすまないうちに、女は突然病気になって、数日苦しんだだけで死んでしまいました。

 子供がそばで泣き悲しんでいると、6時間ほど経って生き返りました。

 目を見開いて、子供達に向かって、

「私が、一人で広い野原を進んでいくうちに、道に踏み迷ってどちらへ行ったらいいのか

分からなくなったのよ。そうしていると、冠をかぶった瞑府の役人が一人出てきて、

私を捕まえて連れていくのよ。また、こざっぱりとした一人の小僧が出てきて、

『この女は私の母親です。すぐに許して放して下さい。』

と言うんだよ。

 すると、役人はそれを聞いて、一巻の書類を取りだして、私に向かって、

『お前には、二つの罪がある。早くそれを懺悔しなさい。その罪というのは、一つには、

男と色情に耽った罪である。泥土で卒塔婆を作って供養しなさい。二つ目は、

講に行って、法話を聞いたときに、最後まで聞かないで帰ってしまった罪である、これも懺悔しなさい。』

と言って、私を許して放してくれたの。
 
 その時、小僧が、私に、

『お前は、私を知ってるか?』

と尋ねたので、私は知らないと答えたの。

すると、小僧が、

『私は、お前が作った地蔵菩薩だよ。お前が我が像を作ったんだよ。だから、私がここに現れて、

お前を助けたのだ。早々と本国に帰りなさい。』

とおっしゃって、道を教えて返してよこしたの。」

と語りました。

 その後、雲林院の僧に語って、泥の卒塔婆を作って供養し、懺悔しました。

また、地蔵菩薩の開眼供養をし、ねんごろに礼拝し申し上げたと、語り伝えたと言うことです。

                       おわり

しょうげんの一言:菩薩信仰が深く、生き返った話でした。

Category: 古典文学
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