賄賂で生き延びた男

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橘磐島(たちばなのいわしま)使いを賂(まかな)ひて
             冥途(めいど)に至らざるものがたり

               (今昔 巻20 第9)

 むかーし昔。橘の磐島という男が居ました。

聖武天皇の御代に奈良の都、大安寺(たいあんじ-現存してない)の西に住んでいました。

 この寺の聖経供養のための銭四十貫借りて、越前の国敦賀(つるが)の港に行って、

必需品を買って船に積んで還ろうとしたときに、急に病にかかってしまいました。

 そこで、船を留めて、馬を借りて乗り、一人で急いで還る途中、近江の国高島の郡(こおり)の浜で、

後ろを振り返ると、一町ほど遅れて三人の男が歩いていました。

 山城の国宇治の橋に差し掛かったときに、この男達が近づいてきて、並んで歩き始めました。

 磐島が、男達に、

「あなた方は、どこに行くのですか?」

と尋ねました。

 男達は、

「我々は、閻魔王の使いで、奈良の磐島を呼びに行くのだよ。」

と答えました。

 磐島は、びっくりして、

「おっしゃる磐島とは、この私の事です。どういうわけで、呼ばれるのですか?」

と言いました。

 使いの男は、

「我々はは、まずお前の家に行って尋ねたら、商いのために他国に行ってまだ還ってこない、

と聞いたので、あの敦賀の港まで出かけて行って、ようやくお前を捜し当てて、

捕まえようとしたら、仏法守護の四天王の使いという者が現れて、

『この人は、寺の銭を借りて、商いをして返すはずだ。だからもう少し待て。』と言ったので、

家に還るまでは、見逃しているのだ。ところが、ここ数日お前を捜している間に、

我々は、腹が減ったし、疲れてしまった。何か食べ物はあるか?」

と言いました。

 【四天王-持国天、広目天、増長天、多聞天。】

 磐島が、

「私の旅の道中の食用にと思って、干した米を少々持参している。」

と言いました。

 これを与えて食わせようとすると、鬼が、

「お前の病気というのは、我らの鬼気に感染したのだ。だから、あまり近くに寄らない方が良い。

だが、恐ろしがることはないよ。」

と言って、一緒に家に行きました。

食事の準備をして、大いにご馳走しました。

鬼が言うには、

「我々は牛肉が大好物だ。早くそれを用意して食わせてくれ。世の中で牛の命を取ってるのは、

実は我々なんだよ。」と。

 磐島がいうには、

「我が家には、斑(まだら)の牛が2頭います。これを上げましょう。その代わり、

何とかして私を地獄は連れていくのは勘弁してくれ。」と。

 鬼が言います、

「我々は沢山お前の饗応を受けた。その恩には報いよう。しかし、お前を許せば、

我々は重い罪を背負って、鉄の杖で100回も叩かれるだろう。そこで、もしや、

お前と同じ年の男はいるかな?」と。

 磐島が答えました、

「私は、全く同じ年の男を知りません。」と。

 一の鬼が真っ赤になって怒り、

「お前の年の干支(えと)はなんだ?」

と尋ねますと、磐島は、

「戊寅(つちのえとら)の年です。」

と答えました。

 鬼が言うには、

「その年の人が居るところを知っている。お前の代わりにその人を連れていこう。

お前が呉れた牛は食った。また、我々が杖で打たれる罪を免れるために、我々三人の名を呼んで、

金剛般若経(こんごうはんにゃきょう)百巻読誦(どくじゅ)させてくれ。」と。

 「我らの一人を高佐丸(たかさまる)、二人目を仲智(なかち)丸、三人目を津知(つち)丸というのだ。」

と名乗って、夜中に去っていきました。

 明くる朝見ると、牛が一頭死んでいます。磐島はそれを見て、早速大安寺の南塔院に行って、

出家したばかりの仁耀(にんよう)に会い、事の次第を詳しく語って、金剛般若経を読誦させて、

あの鬼の菩提をとぶらってやりました。

 二日の間に、すでに百巻を読誦し終わりました。

三日目の暁に、あの使いの鬼が来て、

「我らは、般若経の力によって、百叩きの杖の苦しみを免れた。また、普段の食事の他に充分食い物を手に入れた。」

と語って、非常に喜んでいる様子でした。

 また、さらに、

「今からのち、節日(せちにち-季節の変わり目に祝いをする日)毎に、我らのために、お経を上げ、食べ物を供えよ。」

と言って、かき消すように去っていきました。

 その後、磐島は、なんと九十過ぎまで、生きていました。

 これはひとえに、大安寺の銭を借りて商いをし、まだ返してなかったために、死なないで済んだのです。

また、鬼が過ちを犯したけれども、般若経のお陰で苦痛を免れたのです、非常に尊いことだと、語り伝えたと言う事です。

                       おわり 

しょうげんの一言:昔も賄賂があったのですね。

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Category: 古典文学

匠の腕比べ

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百済川成(くだらのかわなり)飛騨工(ひだのたくみ)と挑むものがたり

                        (今昔 巻24 第5)

 むかーし昔。百済の川成という絵師がいました。この世で肩を並べるほどの者はおりません。

 大覚寺の滝殿の石も、この川成りが立てた物です。同じ御堂の壁の絵も、この川成が書いた物です。

 ある時、川成は、召使いの童に逃げられました。あちこち捜しましたが、見つけかねたので、

ある家柄の高い名家の下男を雇って、

「私が長い間使っていた召使いの童が逃げてしまったので、捕まえて連れてきてくれ。」

と頼みました。

 その下男が、

「たやすいことですけど、その少年の顔を知ってるならば、捕まえることも出来ましょうが・・ね。

顔を知らないで、どうした捜すことが出来ましょうか?」

と言います。

 川成は、

「うん、そうだなー。」

と言って、懐紙を取りだして、少年の顔だけを絵に描いて、下男に渡して、

「これに似た童を捕まえれば良いよ。東西の市は人が集まるところだ。その辺りに行って、捜せばいいだろう。」

と言いました。

下男は、顔を描いた絵を持って、早速市に行きました。人は大勢居たけれども、

これに似た童は居ません。しばらくうろうろして、もしや・・と思っていると、この絵に似た童が出てきました。

 その絵と較べると、全く違っているところがありません。これに間違いないと、しっかり捕まえて、

川成の許に連れていきました。確かに、あの逃げた童でした。


 この話を聞いた人は、素晴らしいことだと感嘆したそうです。

 その頃、飛騨の工(たくみ)という大工(だいく)がおりました。

平安京に遷都したとき、新しい都の建築に当たった工匠でした。当時肩を並べる者が居ないほどの名人です。

御所の豊楽院は、この工匠が建てたので、精妙なものです。

 ある時、この工匠が、あの川成とお互いに技能を競争することがありました。

 飛騨の工が、川成に、

「我が家に一間四面の堂を建てましたので、いらっしゃって見て下さい。また、壁に絵などを描いて頂きたいと思います。」

と言いました。

 お互いに、競争しながらも、冗談を言い合うほどの仲だったので、こんな事を言うのだろうと思って、

川成が、飛騨の工の家に行きました。

 行ってみると、全くこざっぱりとした小さな堂がありました。

四面の戸がみな開いていました。

 飛騨の工が、

「その堂に入って中をご覧下さい。」

と言うので、川成が縁に上がって、南の戸から入ろうとすると、突然その戸は、ピタリと閉じてしまいました。

 ビックリして、縁を回って、西の戸から入ろうとしました。すると、またその戸がピタリと閉じて、南の戸は開きました。

 それではと、北の戸から入ろうとすると、その戸はピタリと閉じて、西の戸は開きました。

 また、東の戸から入ろうとすると、その戸は閉じて、北の戸は開きました。

 こうして廊下をグルグル回って、何度か入ろうとしますが、戸が閉じたり開いたりして、

どうしても中にはいることは出来ません。

 どうしようもなくて、縁から下りました

 それを見て、飛騨の工は大笑いしています。川成は、ねたましく口惜しいと思いながら帰りました。


 その後、数日経って、川成が飛騨の工の許に、

「我が家にいらっしゃい。お見せしたい物があります。」

と、言ってやりました。

 飛騨の工は、きっと自分を騙そうとしているのだろうと思って、行きませんでしたが、

何度も丁寧なお使いが来るので、飛騨の工は川成の家に行って、来たということを、申し入れたところ、

「こちらにお入り下さい。」

と、召使いが言うのでした。

 言われたとおりに、廊下の遣戸(やりど-左右にすべらせる戸)を引き開けたところ、

中に、大きな人間の、黒ずみ膨れて腐敗した死体が寝かせてありました。

その匂いは、鼻からツーンと入って、涙が止まらないほどです。
 
 思いがけずこんな物を見たので、大声を上げて飛び退き、裸足のままで逃げ出しました。

 川成は、家の中にいて、飛騨の工の逃げ出した物音を聞いて、大声でげらげら笑いました。

 飛騨の工が怖ろしいと思って地べたに立っていると、川成がその遣戸から顔を出して、

「やぁ、私はここにおりますよ。早く入って来なさいよ。」

と言ったので、おそるおそる近寄っていって見ると、そこの襖(ふすま)に

前もって、その死体を書いてあったのです。

 お堂で騙されたのが口惜しくて、こんな悪戯をしたのでした。

 この二人の腕前は、これほどのものでした。当時の物語によると、色々な場所でこれが語られ、

誰もが褒め称えたと、語り伝えたと言うことです。

                        おわり。

しょうげんの一言:有名な話ですから、どこかで読んだことがあるかもしれませんね。

Category: 古典文学

牛になった僧侶

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延興寺の僧恵勝(えしょう)、悪業によりて牛の身を受くるものがたり

                    (今昔 巻20 第20)

 むかーし昔。延興寺という寺がありました。その寺に恵勝という僧が住んでいました。

 長年その寺に住んでいる間に、寺の湯屋に使う薪一束を取って、人にやりましたが、

その後、その返済もしないうちに、恵勝は死んでしまいました。

 その頃、その寺の近くに雌牛を飼ってる人がいました。その雌牛が、一頭の子牛を生みました。

 その子牛が大きくなってから、その子牛に車を引かせて、薪を積んで寺に来ました。

 その時、見知らぬ僧が、寺の門に出てきて、この子牛を見て、

「恵勝法師は生きていた時に、毎日毎晩涅槃経(ねはんぎょう)を読んでいたが、

今死んで牛に生まれ替わり、車引く身になっているとは、さてさて可哀想なことだ。」

と言いました。

 子牛は、それを聞いて、涙を流したかと思うと、ばったり倒れて、そのまま死んでしまいました。

 子牛の主人は、これを見て、激怒し、この僧を罵り、

「お前が、この牛を呪い殺したんだ。」

と言って、すぐに、この僧を捕まえて、朝廷に連れていって、訴え出ました。

 天皇が、それをお聞きになって、その僧がしゃべった理由をお聞きになろうとして、

先ず僧を呼んで御覧になると、僧の容姿は端正で、普通の人間には見えません。

 そこで、驚き不思議に思って、即急に罰することを恐れて、清浄な場所に僧をおいて、

高名な絵師達を呼んで、

「この僧の容姿はこの世で見たことがないほど端正である。だから、この僧を正確に描いて献上せよ。」

とお命じになりました。

 絵師達は宣旨(せんじ-天皇のお言葉。)をうけたまわって、それぞれ腕を振るって、

僧の姿を書写して、持って参りました。

 天皇が、それを御覧になると、もとの僧の姿ではなくて、みな「観音」のお姿に書かれているのです。

 天皇を初めとして、殿上人達が、僧を見直しますと、すーっと姿が消えてしまいました。

天皇も驚き、恐れおののきました。

 恵勝が牛に生まれ替わってことを、人々に知らせるために、観音様が僧形に姿を変えて、お示しになったのでした。

 牛の主は、これを知らないで、僧を訴えて処罰して貰おうとしたことを後悔し悲しみました。

 人々は、このことから悟ったのです。

 僅かばかりの物でも、借りた物はきちんと返すべきで、返さないで死ぬと、必ず畜生となって

これを償うことになるのだと、語り伝えたと言うことです。

                         おわり

しょうげんの一言:物語には関係ありませんが、今日は私の80歳の誕生日です。

         あとどれくらい続くか分かりませんが、よろしくお願いします。

Category: 古典文学

鬼にうばわれた琵琶

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玄象(げんしょう)の琵琶、鬼のために取らるるものがたり

                    (今昔 巻24 第4)

 むかーし昔。村上天皇の時代に、玄象という琵琶が突然見えなくなりました。

これは、歴代相伝の大切な朝廷の財宝でしたから、この様になくなったので、

天皇は非常にお嘆きになって、この様な高貴な代々相伝の財宝が、自分の代で失ったことだと

残念がっていらっしゃるのも当然のことです。

 これは何者かが盗んだのでしょうか。

ただし、人が盗み取ったのであるならば、隠しようのない名器を、

密かにに持ち続けることは不可能なので、天皇に恨みを抱いている者が、

盗み出して壊してしまったのだろうかと、お疑いになりました。

 その頃、源博雅(ひろまさ)という人は殿上人でした。

この人は、管弦の道を極めた人で、この玄象の無くなったことを、非常に嘆いていました。

 人々が皆寝静まった夜に、博雅が清涼殿に居たところ、南の方からあの玄象を弾く音が聞こえてきました。

 非常に不思議に感じ、聞き違いかなと思って、なおよく耳を澄ますと、まさしく、間違いなく、玄象の音色です。

 博雅は、絶対に聞き間違うはずもないことなので、不審に思って、誰にも言わずに、

宮中で宿直するときの直衣(のうし)姿のままで、唯一人、沓(くつ)だけ履いて、

童一人を連れて、衛門の陣を出て、南の方に行くと、なお南の方にこの音がします。

近くだなと思って行くと、朱雀門に着きました。

 【朱雀門(すざくもん)-大内裏の南門】

 やはり、同じように南の方から聞こえます。そこで朱雀大路を南に向かっていきました。

 内心、これは玄象を人が盗んで、あの楼観(ろうかん-高殿のことか?)で、密かに弾いているのだろうと

思って、急いであの楼観に行って聞いてみると、また南に間近に聞こえます。 

そこで、また南に行くと、羅生門に到着しました。

 【羅生門(らしょうもん)-朱雀大路の南端にある平安京の正門】

 門の下に立って聞くと、門の楼上で玄象を弾いているのでした。  

博雅は、それを耳にして、不思議に思い、これは人が弾いているのではない,

きっと鬼が弾いているのだろうと思っているうちに、弾き止みました。

 しばらくすると、また弾き始めます。

その時、博雅が、

「これは、どなたが弾いていらっしゃるのですか? 玄象は、数日前見えなくなって、

天皇がお探しになっているのです。今夜清涼殿で聞くと、南の方で音色がしたので、

この様に尋ねてきたのです。」

と言いました。

 すると、弾き止んで、天井から下りてくる物があります。

不気味の思って、二三歩離れて見ていると、玄象に縄を付けて下ろしたのでした。

 そこで、博雅は怖ろしいと思ったけれども、玄象を取って、宮中の戻って、

この事を申し上げて、玄象を献上致しますと、天皇は非常に感心なさって、

「鬼が取ったのだったな!」

とおっしゃいました。

 これを聞いた人々は、みんな博雅を褒め称えました。

 この玄象は、現在も朝廷の宝物として、代々伝えられて、宮中にあります。

 この玄象と言う琵琶は、命ある物のようです。

まずく弾いて、充分に弾きこなせないと、腹を立てて鳴らないのです。

また、埃が付いても掃除しないと、やはり腹を立てて鳴らないのです。

その腹立ちの様子は、ありありと見えるのです。

 ある時、内裏の火事の際に、誰も取り出さなかったのに、玄象は自分で出てきて、庭にありました。

 これらは、奇異なことだと語り伝えたと言うことです。

                        おわり

しょうげんの一言:今日は楽器にまつわるお話でした。

Category: 古典文学
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